住職雑感

 志村けん逝く 令和2年4月
 先月末、タレントの志村けんさんが、新型コロナウィルスによる肺炎のため亡くなりました。
 親子三代にわたるファンも少なくない国民的人気者で、心と体を張ったコントで、長年全国のお茶の間にお腹がよじれるような笑いをもたらしてくれました。
 プライベートでは意外にも寡黙で常に周囲に気を遣う性格だったとか。まだまだこれからなのにと感じさせる七十年の人生の中の約五十年間を、お笑いタレント志村けん≠ニして精一杯使い切り、生命を振り絞ってとことん生き抜いた人生であったと思います。
 大勢の人を明るい気持ちにしてくれただけでなく、最後に新型コロナウィルスの恐ろしさを全国の人々に強く知らしめてくれた彼の功績は、ある意味菩薩行とも云える尊い人生だったと感じます。

 お祖師様のお言葉に時代の鍵を求めて 令和2年3月
 今年の3月にはすでに新型コロナウィルスの感染が大きな社会問題となって、人々の心に深刻で不安な影を落としていました。日蓮大聖人様の生きた鎌倉時代も大規模な自然災害や伝染病によって人々が苦しんでいた時代でした。
 お祖師様は生涯をかけて時代ーそこに生きる人々の救済に取り組まれました。私たちは、今こそ時代ーそこに生きる人々の救済ということに真剣に向き合うべき時を迎えていると考えます。 
 
 日蓮大聖人様は、『立正安国論』の中で、日本国の人々が法華経の信仰をないがしろにしているため、善神は国を捨てて去り悪鬼がはびこって世の中に災害(台風や地震)や疫病(伝染病)をもたらしているのだとお示しになりました。今の日本は、かつて経験したことのない新型ウィルスの脅威にさらされ、まさにお祖師様ご在世の鎌倉時代と同じ様相を呈していると言えるでしょう。
私たちは、お祖師様のお言葉を改めて心に噛みしめながら、我が身を守るための行いを為すことが必要です。
先日ある信者さんから新型コロナウィルスについてのお医者様によるアドバイスが届きました。〇新型コロナウィルスは熱に弱いらしいので、60℃程度の温かい飲み物を多く飲むと良いとのこと。〇外出時もカテキン入りのお茶など抗ウィルス効果があるとされる飲み物を保温水筒で持ち歩いて飲むと良いそうです。〇体温より熱いお風呂は免疫力を高めるので有効です。ホットショックを起こさないよう注意してゆっくり温まりましょう。
とのことです。各自心掛けてみてください。

 今こそ「ONE TEAM(ワンチーム)」で! 令和2年2月
 昨年の流行語大賞「ONE TEAM(ワンチーム)」は、ラグビーワールドカップ日本大会で活躍した日本代表チームのスローガンでした。
これはラグビーというスポーツの「一人はみんなのためにみんなは一人のために」という基本理念をもとにした言葉です。
  「和の心」を尊ぶ日本社会に「ワンチーム」という言葉は大いに受け容れられ、今やラグビーに限らず、仲間の輪を大切に目的を達成しようという意味で、広く世間一般でも使われるようになりました。
 この「ワンチーム」の理念は、仏教の思想にも通じるもので、『法華経』の教えでは、「異体同心(いたいどうしん)」と云います。日蓮大聖人は、「異体同心なれば万事を成ず」と述べられ、身体や能力はそれぞれ違っても、目指す所が一致しお互い協力し合うならば、物事は必ず成功するのだとお示しです。
今世界は世情不安な時代ですが、国・世界全体が「ワンチーム」となって明るい未来を創造していきたいものです。

 令和2年はどんな年に? 令和2年1月
 久しくご無沙汰しておりました。昨年の夏ごろから身辺誠にあわただしく、小衲怒涛のごとき時の流れに巻き込まれておりました。
 今、世界は新型コロナウィルスの猛威にさらされ、大きな危機の中にあります。
 外出自粛の中で、今一度寺報の年頭所感を振り返ってみます。
 
 今年は十干十二支でいうと庚子(かのえ・ね)の年です。干支は、それぞれに宇宙を構成する五行(木・火・土・金・水)に当てはめることが出来、庚は金の兄の意味で、金性で陽気な運を持っています。また子は水を表しています。
 五行の考え方では、水は金から作られるので、庚(金)とそこから作られる子(水)の組み合わせは、とても調和のとれた年といえるでしょう。
 また、植物の成長過程に例えると、子は芽を出す前の種であり、何かが始まる前の状態を意味します。庚は成長が終わって枯れて冬になることを意味します。
 総じて、令和二年庚子の年は、何かが終わって改まり、何か新しいものが始まる、そんな年になりそうです。昨年までの反省と整理をして、時代の変化に上手く対応していくことが肝要と考えます。
 ちなみに、小衲は前回の庚子の年の生まれなので、今年は人生二回目の庚子を迎えました。誠に有り難いことです。 

 いつの間にか還暦を迎えてました
 人生の時は物凄い速さで瞬く間に過ぎ去っていくものだと、痛感させられています。
いつの間にか還暦を迎え、肩や腰・膝などが思うように稼働してくれないことに日に日に情けなさを感じる今日この頃。また、かつては元気はつらつだった同級生の訃報に接することもあり、実に切ない思いにかられます。
 還暦とは、自分の生まれた年の十干十二支が一巡して元に戻ることで、本来は満六十歳・数え六十一歳を迎えられたことを祝う長寿の祝いのことです。生まれた年の干支を意味する本卦帰り(ほんけがえり)ともいいます。
 古来より還暦は隠居の歳であり、社会人としての生活から身を引くことが習慣になっています。一般に満六十歳を定年とする職場は多く、高齢化社会になったとはいえ、いつ迄も第一線でバリバリ仕事を続けるわけにはいかないのが現実です。
 しかしながら、身体の老化を嘆くばかりでなく、これまでの人生経験や蓄えてきた知識の引き出しを整理して、人生の面白さや生きることの大切さを感じられるのもこの年齢ならばこそと感じます。 
還暦で生まれ変わって気分一新、楽しく充実した人生を過ごしたいものです。 

 “いだてん”面白い!
 NHKの大河ドラマいだてん≠毎回楽しみに観ています。明治維新後の富国強兵の時代に、いち早くオリンピックの価値に目覚め、スポーツの発展に尽力した嘉納治五郎をさきがけとして、昭和三十九年の東京オリンピック開催に至るまで、多くの人々が夢を実現しようと奮闘する遥かな人間模様が面白おかしく描かれています。
 オリンピックに三度出場しながら一度も望ましい成果を上げられなかった日本最初のオリンピック選手金栗四三は、指導者として箱根駅伝を創設するなどして多くの優れた選手を育て、また女子スポーツの活性化を実現しました。
健康上の理由から自分では泳ぐことが出来なかった田畑政治は、古橋広之進等世界にその名を轟かせた水泳選手を育て上げ、東京オリンピック開催への中心的役割を果たします。
スポーツ観戦と歴史が何より好きな小衲にとって、日曜日夜八時は今のところ心躍るひとときになっています。

 6月 終活を考える
 「終活」という言葉を聞くことが多くなりました。「終活」とは、人生の終わりのための活動であり、人生の最後を迎える為に様々な準備を行うことだそうです。 
財産分与・遺品整理・葬儀の段取りや遺骨の供養等々、自分の死後、子や孫に迷惑をかけないように備えておくことは、ある意味必要なことだと思います。しかし、死を迎えるにあたって最も肝心なことがなおざり(等閑)にされている気がします。
人間は死を迎えるとどうなるのでしょうか。生前不信心であっても、葬儀をしてもらえばちゃんと成仏出来るのでしょうか。
生きている間は、何かにつけて周囲の人々の力を借りることが出来ますが、死に臨んではたった一人で逝かなければなりません。死を迎えて霊魂となった時、何にすがったら良いのか、家族は追善供養を通じて何をしてやれるのか、今の内にちゃんと納得しておくことが最も大事な「終活」と考えます。

 令和 新時代の到来 5月1日
 平成の三十一年間、日本人は戦争を避け、平和への信念を貫き通すことが出来ました。
しかし、一方では自然災害が猛威を奮い、また犯罪史上類を見ない悲惨な事件が続発し、あまりにも多くの尊い生命が失われたことは、決して忘れることの出来ない時代の記憶です。
 現今の世相を見ると、和を尊しとする思いやりの心や、先祖や先人を尊敬し智に習い徳を慕う心が影をひそめ、日本人らしい精神文化が徐々に失われつつあるように感じます。日本人と日本国が、今後どこに向かってどんな風に進んで行くのか、今こそ真剣に考えなければならないのではないでしょうか。 
日蓮大聖人様は、日本人に生まれた意義を悟り、法華経に縁深き日本国を愛し、日本国に御本仏様の浄土を実現すべく御題目の弘教に全生涯を懸けられました。新時代の日本人のために、法華経と御題目の信仰は、今後ますます必要とされ隆盛していくことでしょう。

 4月、ショーケン逝く😢
 先月二十六日、俳優で歌手のショーケンこと萩原健一さんが六十八歳で亡くなりました。
 昭和四十二年、十七歳でグループサウンズのザ・テンプターズのリードボーカルとしてデビューし、ヒット曲を連発して一躍人気者に。グループ解散後は、「太陽にほえろ!」「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」などのドラマに出演して俳優としても人気を博したことはご案内の通りです。
 一方で四度の逮捕と三度の結婚など、波乱多き人生でしたが、彼の憎めないやんちゃぶりや渋い独特の佇まいに魅せられたファンの一人として、その早過ぎる突然の死には落胆の念を禁じ得ません。
 間もなく平成の時代が終わり、時代をいろどる人々や出来事が、次々と思い出の中へ仕舞い込まれていきます。
そして、ショーケン逝く≠フ報道は、平成というよりも、いよいよ昭和が終わってしまうのかという思いを強くさせられました。

 3月の雑感
 三月六日は啓蟄(けいちつ)です。太陰暦で用いる二十四節気(にじゅうしせっき)の一つで、土の中で縮こまっていた虫(蟄)が穴を開いて(啓いて)動き出す日のことです。
この頃は初雷(はつかみなり)が鳴り、これを聞いて虫が土中からはい出すと考えたので、これを「虫出しの雷」ということもあるそうです。一雨降るごとに気温が上がって日差しも徐々に暖かくなり、春の訪れを期待させる時期でもあります。
また、気候の不安定な季節ですが、同時に新しい年度を迎えるに当たり「さぁ働くぞ」「さぁ勉強するぞ」と意気込み始める季節を象徴する日と考えることも出来るのではないでしょうか。
私たち日本人は、古くから大自然を謙虚に受け止め、季節の変化に順応しながら生活を営んで来ました。
心や身体の調子も、季節の移り変わりと相俟って変化していきます。暑さや寒さをむやみに我慢して体調を崩すことなく、健康で平安に過ごすための文化や習慣を、古の人は教えてくれています。