住職雑感

 葬儀? 告別式?  令和徒四年拾月
 先月27日、安倍晋三元総理大臣の国葬が行われました。国葬とは、国家にとって特別の功労のあった人の死去に際し、国費で行う葬儀のことです。
 国葬の名称は明治維新以降に使用されるようになり、戦前には勅令(天皇の命令)や「国葬令」という法律のもとに、大久保利通・岩倉具視・三条実美・伊藤博文・明治天皇・昭憲皇太后・山縣有朋・大正天皇等々、歴史に名だたる顔ぶれの国葬が行われました。対象者は皇族や王公族・首相経験者でしたが、稀有な例として軍人であった東郷平八郎と山本五十六の場合は国葬が行われました。
戦後は国葬の法的規定がなくなり、前回の吉田茂元首相の場合は閣議決定により、今回の安部元首相の場合は国の儀式の開催を取り扱う「内閣府設置法」という法律を根拠に行われました。テレビで観た国葬は、宗教色を排したもので、個人の遺徳を大いに讃えながらも、昭和天皇や最近のエリザベス女王の葬儀のような宗教的厳粛な雰囲気を欠いた点が残念に感じられました。そもそも葬儀と告別式とは、本来の意義が異なるものです。すでに安倍家において立派なお戒名をいただいて葬儀が済んでいるのですから、国葬という名称ではなく、告別式とかお別れ会とか別の式典の名称が相応しかったのではないのかなと思っております。

 防災の日 令和肆年玖月
 今から99年前の大正12(1923)年の9月1日に発生した関東大震災によって、東京・神奈川を中心に南関東に甚大な被害をもたらしました。死者・行方不明者は推定で15,000人、被災者は190万人という明治以降の日本地震災害では最大規模の災害です。
正午前で各家庭が火を使っていたところに地震が発生したため、木造住宅が密集していた地域で火災が発生し、折から日本海沿岸を北上する台風の強風にあおられる形で大火災となり、東京では三日間にわたって燃え続け、焼死による犠牲者が最も多かったそうです。
また、津波による犠牲者も数百人に上り、鎌倉の海岸では9メートルの津波が記録されていました。
日本は地震大国の名で知られるように、有史以来膨大な地震の記録が刻まれています。近年の阪神淡路大震災・新潟中越地震・東日本大震災・熊本地震等々、世界で発生しているマグニチュード6以上の地震の約二割が日本周辺で発生しているそうです。特に驚くのは、2021年一年間で震度1以上の地震が発生した回数は2424回もあり、震度4以上は54回を数えました。
9月1日は関東大震災に因んだ防災の日です。他人ごとではなく我が身に降りかかる災難をしっかり見据えることが肝要です。

 さあ、甲子園!! 令和肆年捌月
第104回全国高等学校野球選手権大会栃木大会は、ノーシードの国学院栃木高校が、準決勝で作新学院の十一連覇を阻止し、37年ぶり2度目の優勝を果たし甲子園出場を決めました。国学院栃木の諸君には、栃木の代表として大いに活躍してくれることを期待しております。
 全国各地で代表が続々と決まる中、奈良県では県立生駒高校が快進撃を見せ、準決勝で強豪の智弁学園を破り、天理高校との決勝に駒を進めました。しかし好事魔多しということか、決勝戦前に新型コロナ感染の疑いのある選手が続出し、生駒高校は本来のレギュラーが3名しか出場できない事態となってしまいました。
 試合は大量点を取られ、自分たちは得点することが出来ませんが、普段は控えの選手が守備で一年生の投手を盛り立てるなど、生駒の選手たちはあきらめずに最後まで全力を尽くし、相手の天理高校も試合で手を抜いては礼に反すると、正々堂々全力で戦いました。
生駒最後の攻撃の9回二死、天理ナインはタイムを取ってマウンドに集まると、キャプテンが試合後に喜ぶのはやめておこうと提案し、みんなもそれを受け容れ、試合終了後はすぐに整列したそうです。甲子園出場を決めた喜びをみんなで爆発させたい思いを抑え、不本意な戦いを強いられた相手の悔しさを思いやることの出来るスポーツマンシップを爽やかに教えられました。

 早すぎる梅雨明け 令和肆年漆月
 今年は6月6日に梅雨入りしたにもかかわらず、梅雨前線が停滞せずに空梅雨となり、早や梅雨明けを迎えました。昨年より19日・平年より22日早い梅雨明けだそうです。東京都心では平年の半分程度、宇都宮でも平年のほぼ六割しか雨が降りませんでした。
 関東では北部の山沿いで降水量が平年より多く、ダムの貯水量も今のところ平年を上回っていますが、西日本全域では雨の量が平年より少なく、夏の水不足が心配されています。
 梅雨の間にもう少し雨が降って、世の中を涼しく潤してくれれば良かったのでしょうが、急に体温を上回る猛暑に襲われて、熱中症等で体調を崩す人が続出しています。
 一方で、「大気の状態が不安定」なこの時期は、梅雨が明けたとはいえ、局地的な大雨-ゲリラ豪雨が発生しやすい時期でもあり、水害の危険が大きいのだそうです。つまり、猛烈な暑さに苛まれたと思ったら、急に激しい大雨が降り、そして河川の氾濫等に見舞われるという危険をはらんでおり、常に生命の危険と隣り合わせであることをしっかり自覚しておかなければならないと思います。
 日本の気候は、すでに私たちの記憶している春夏秋冬ではなくなっています。家族や仲間同士で注意し合い、現実の気象状態に上手く適応していきましょう。

 季節は早や 令和肆年陸月
 今年も早や六月です。六月は別名水無月と云われます。水無月の無は〇〇の≠ニいう意味で、田に水を引く月に由来して水の月という意味だそうです。
 また、六月一日は季節に合わせて衣服を替える衣替えであり、四季のある日本ならではの風習です。季節感のある装いは身だしなみのひとつであり、心身の健康維持にも通じます。同時に衣服を通じて子どもの成長を感じたりお下がりを譲ったりして、物や親しい人との交流を大切にする日本の文化を感じる機会とも云えましょう。
 暦の上では、立春から一三五日目が入梅ですが、現実には梅雨入りはもう少し先になるのでしょうか。二十一日は夏至で昼間の時間が最も長くなり、いよいよ本格的な夏を迎える準備に入ります。
 大きな気候の変化の真っ只中の六月ですが、古来より旧暦の十六日に和菓子や餅を神様に供えて健康を願い、それをいただく嘉祥食い(かしょうぐい)という習わしがあるとか。全国和菓子協会ではこの日を「和菓子の日」と定めているそうです。味も見栄えも楽しめる季節ごとの和菓子も日本の素敵な風物詩ですね。

 今が平和でも一寸先は闇 令和肆年伍月
 先月、北海道の知床半島沖合で観光船が遭難し、乗客と乗員26名全員が死亡もしくは行方不明という痛ましい事故が起きました。世界自然遺産の知床の美しい景色を船で沖合から眺める貴重で楽しいはずの旅行が突然悲劇に変わってしまいました。被害者の方々のご冥福を祈らずにはいられません。
 こうした悲しいニュースに接するたびに思うことは、普段平和で安全で便利な社会に生活している私たちは、それが当たり前だと錯覚してしまっているのではないかということです。
人生は、一寸先は闇と云われます。そして、大なり小なり災難は必ず我が身に降りかかってくるものです。
地震や台風等の大きな自然の力は人類の科学技術を遥かに凌駕しています。目に見えない小さなウィルスの働きに対しても、私たちはただただ悪戦苦闘を繰り返すばかりです。
日頃の穏やかな生活の中に在って、大自然や人々の運命をつかさどる御本佛様の存在を感じながら、その御加護に対し、敬虔な気持ちで感謝し祈ることの大切さを改めて感じました。

 大相撲、盛り上がれA 令和肆年卯月
 大相撲の大阪場所は、関脇若隆景が安との優勝決定戦を制し初優勝を遂げました。小さな身体を精一杯使って大きな相手を翻弄する相撲には、思わず応援したくなるファンが少なくないことでしょう。間近に引き寄せた大関取りに向ってケガをせずに頑張って欲しいものです。
ちなみに若隆景のお祖父さんは元小結の若葉山でその娘がお母さん。お父さんは元幕下若信夫で三代続くお相撲さんです。加えて長兄は幕下の若隆元・次兄は幕内の若元春と、戦国時代の毛利三兄弟の名前をそのまま四股名にした文字通りの相撲一家で三人それぞれ今後の活躍が楽しみです。
 今場所は、他にも横綱琴桜の孫の琴ノ若が終盤まで優勝争いに加わって三役に定着しそうな力を見せ、先場所負け越して十両に落ちた大横綱大鵬の孫で関脇貴闘力の息子王鵬も好成績を挙げて、来場所再入幕しての活躍が期待されます。かつて若乃花と貴乃花の兄弟横綱や鶴嶺山・逆鉾・寺尾の井筒三兄弟等の例もあったように、お祖父さんやお父さんの姿を思い出しながら観戦するのも相撲の魅力の一つだと思います。
それと、解説の元横綱北の富士さんが八十歳になられたとか。少しヤンチャで気風の良い、強い横綱でした。いつまでもお元気で楽しい解説を聴かせていただきたいと願っています。

 大国ロシアの暴挙 令和肆年参月
先月24日、ロシアは隣国ウクライナへの軍事侵攻に踏み切り、ロシア軍とウクライナ軍の戦闘が激しさを増しています。
 最も忌避すべき戦争が始まってしまったことに、世界各地でロシアへの非難と和平を叫ぶ声が上がっています。罪なき人々の生命が危険にさらされ平安な生活を脅かされる事態が一刻も早く収拾されることを願わずにはいられません。
 そもそもロシアはなぜ侵攻に踏み切ったのでしょう。
 1991年のソビエト連邦崩壊以来、連邦を構成していた国々は次々と西側陣営に移ってしまいました。ロシア連邦にとってウクライナは、まさに西側諸国との緩衝国家としての役割を果たしていたのですが、現在のゼレンスキー大統領は西側民主国家の軍事同盟ともいえるNATO(北大西洋条約機構)加入を望んでおり、そうなるとロシアは直接西側と国境を接することになってしまいます。
ロシア側はなんとかそれを阻止せんと幾多の行動を起こし、この数年ウクライナの東部地域においてウクライナ政府軍と親ロシア派武装勢力や反ウクライナ政府組織による紛争が続いており、すでにウクライナ国民の半数以上がロシアとの戦争が行われていると感じていたそうです。一方でロシア国民の多くは、戦争には反対ながらも、ウクライナはロシア連邦に留まるべきだと考えているのだとか。
非常に複雑な問題であることだけは間違いなさそうです。一日も早い平和裡の紛争解決を祈るばかりです。 

 大相撲、盛り上がれ 令和肆年弐月
先月行われた大相撲初場所は、関脇御嶽海が三度目の優勝を遂げ、大関に昇進しました。先輩大関が不振にあえぐ中今後の活躍が期待されます。
 御嶽海は東洋大学出身で学生横綱も獲得しています。
現在の大相撲上位で活躍している力士を見ると、大学で実績を積んで角界に入門している力士が目立ちます。かつてのように、中学や高校を出て直ぐに相撲部屋に入門し、長い時間をかけて歯を食いしばって強くなってゆくお相撲さんのイメージとは少しく変わって来ているように感じます。
 それでも長い大相撲の歴史の中では、大学時代に活躍して横綱まで上り詰めたのは輪島一人です。大関も初代豊山・四代目朝潮・武双山・出島・雅山・琴光喜と今回の御嶽海のわずか七人にとどまっています。
 一方、大横綱の北の湖は、中学生で入門し両国中学校に通っていましたが、厳しい稽古のせいか授業中よく居眠りをしていたとか。先生や同級生も起こさずに寝させておいたそうです。十九年ぶりの日本出身横綱稀勢の里も中学を卒業しての入門で、横綱隆の里の鳴門親方に猛稽古で鍛えられてこその栄誉でした。
いずれにせよ、大相撲の世界で横綱や大関になるというのは途轍もなく大変なことだということが分かります。個人的には近畿大学出身の朝乃山の復活を待ち望んでいますが、果たしていかがなものでしょうか。
 ちなみに相撲に目覚めたのは、ぎりぎり大鵬と柏戸の時代でした。柏戸引退から大鵬が一人横綱になり、北の富士と玉の海が横綱に昇進し、先輩横綱の意地を見せる大鵬と三つ巴でしのぎを削っていた時期は迫力があり、今も記憶に残っています。そして大関清国、正直すぎて横綱にはなれませんでしたが、忘れた頃に怪力で横綱に勝ったりして、なぜか大好きで応援していました。そして悲壮感漂う初代貴ノ花の大鵬への飽くなき挑戦等々、あの頃の大相撲輝いていたなあ!
 

 年頭所感 令和肆年壱月
お健やかに新年をお迎えのことと存じます。皆さまのご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
 さて、今年は五黄の年で、九年に一度の誰にとっても八方塞がりの年と云えるでしょう。新しく商売を始めたり、企画を現実化したりという、人が活発に動くことを期待するには困難な年であり、反対に動きが活発では困るお墓を建てたり直したりすることには向いている年と云われています。
 また、十干十二支では「壬寅(みずのえとら)」の年になります。壬は任(になう)・妊(はらむ)の意味に通じ、寅は強く大きく成長することを表しているそうです。
総じて令和四年という年は、厳しい冬をじっと地中に耐えながら強い生命力を蓄え、新しい春の芽吹きを待っている年ということになるのではないでしょうか。
 今人類は、コロナ禍との闘いの真っ最中です。世界中の多くの人々が従来の生き方や生活感の変更を余儀なくされ、今後しばらくはこの状況が続くことと予想されます。今はまさしく旧来の価値観から新しい価値観への大きな変換期であるということは、自然災害の頻発や複雑化する世界の政治情勢等とも相まって間違いないところだと思います。
 私たちは、先行き不透明な不安なこの世の中に在って、自分にとって本当に大切なもの・変えてはいけない価値観・人生の真理をしっかりと見極めながら生き抜いて行かなければなりません。そしてそれを教えてくれるのは法華経と御題目の信仰に他なりません。心身に信仰を持つことで人智を超えた大いなる御本佛様に一切をお任せし、自ら為すべきことを見い出しながら誠実に精進していきましょう。